エジプト基礎情報~経済
1)1970年代
エジプトは、1973年の第4次中東戦争を「最後の戦争」として平和・自国経済再生に注力することとし、1974年の10月文書に基づいて大胆な門戸開放政策(インフィターハ)を開始した。その結果,1975年から10年間,エジプトは年率6%を超える高度経済成長を遂げた。
しかしながら、この成長は、73年戦争の結果返還された油田からの生産及び石油価格の高騰、75年に再開されたスエズ運河からの収入、オイルダラーの環流する湾岸諸国への出稼ぎ労働者からの送金の増大、外国援助の増大といった外生的な要因によるものであった。一方で,この間貧富の格差は拡大し、1977年1月のパンへの補助金削減をめぐる「物価暴動」の勃発等社会問題となっていった。
2)1980年代
1981年にサダト大統領の後を継いだムバラク大統領は、前大統領の開放政策を継承し、西側諸国からの資金と技術の導入を進めた。しかしながら、1975年から10年続いた高度成長の陰で,補助金による歪んだ価格体系、非能率な公共部門等ナセル時代以来の社会主義的経済体制が温存されたため、1980年代後半になると人口増(当時年率約2.6%)とも相まって、エジプト経済は大幅な財政赤字、高進するインフレ、巨額な対外債務返済負担など極めて厳しい状況を呈した。
こうした状況に対し、エジプト政府は1987年5月にはIMFとの間でスタンド・バイ協定を締結し、右を受けてパリ・クラブで債務繰延べが合意された。
しかし、2回目の引き出しをめぐり、抜本的な経済改革を求めるIMFとより漸進的な改革実施を希望するエジプト政府の間でコンディショナリティーが合意に至らず、融資が中断されたまま,1988年11月に協議は終了した。この結果、1990年度の財政赤字額はGDPの20%にまで達し、インフレ率は15%、中央外貨準備高は16億ドルという危機的水準に達した。
3)1990年代
1990年8月に発生した湾岸危機によりエジプト支援の国際的機運が盛り上がり、IMFのコンディショナリティーたる経済改革のプログラムにつきようやく合意がなされ、1991年5月、IMFとスタンド・バイ協定が再度締結された。これにより、パリ・クラブで公的対外債務の50%削減が合意され、11月には世銀の構造調整融資(SAL)が認められた。その後エジプトは従来の政府主導の統制経済体制を抜本的に改め、市場経済への移行を主眼とした一連の経済改革を推進した。これらにより、マクロ経済の安定が図られ、インフレ抑制、対外収支バランスの回復が達成された。さらに、構造改革として価格統制の撤廃、貿易の自由化、公共部門の民営化等が少しずつ進められた。
世銀SALは1993年5月に完了し、IMFのスタンド・バイは順次更新され、1998年9月に終了した。
4)2000年代
2000年代に入って景気は低下傾向となり、2001年の9.11テロによる観光収入の減少もこれを助長した。しかし、エジプト政府は2003年1月の変動相場制移行をはじめとしたマクロ経済安定化に向けた改革に取り組んだ。
特に2004年7月に発足したナズィーフ新政権が、経済改革を加速させた中で、低迷していた経済成長率も底を打ち、経常収支も黒字を継続して産み出すようになり、2005/06年度から2007/08年度まで3年連続で7%台の経済成長を達成した。2008年9月以降の世界的な景気後退の中でも、2008/09年度は4.7%の成長率を維持した。(注:エジプトの会計年度は7月から翌年6月まで)
政府は「投資増による雇用創出」をスローガンに投資促進・誘致を積極的に呼びかけていたが、外資による恩恵を受ける人がいる一方で、国民の約40%が貧困ライン(一日2.25米ドル)以下で生活しており、貧富の差は広がっていた。
5)2011年1月25日以降の経済の混乱
2011年1月25日、エジプトにおいて民主化を求める大規模な反政府デモが発生し,2月11日、ムバラク大統領が辞任した。政変以降、政情不安定により、90年代以降増加傾向にあった外国からの投資及び観光収入が激減し外貨収入が減少したために、貿易赤字をカバーすることができず、経常収支の大幅赤字へとつながった。
その結果、外貨準備高が大幅に減少し、安全基準とされる輸入の3カ月分にまで落ち込み、観光業の衰退や経済回復のための施策の遅れ等により、失業率は革命以前より約2%増の12%台で推移。2009/10年度のGDP成長率は5.1%を記録したが、政変後の2010/11年度のGDP成長率は1.8%へと落ち込んだ。
エジプト経済が抱える課題としては,以下のような点が指摘されてきた。
・補助金、国内債務利払い、公務員給与支払い等により逼迫する政府財政、財政赤字の恒常的発生と途上国平均を大きく上回る国内債務の累積
・継続するインフレ不安
・輸出産業の未発達と貿易収支の赤字
・低い生活水準と貧富の格差
2012年6月に発足したムルスィー政権は、これらの問題を背景に、外貨準備高の減少やエネルギー需給の逼迫といった経済問題の深刻化に対応できず、2013年6月30日、失権に至り、暫定政権に移行した。
2014年6月には、国民投票により選出されたエルシーシ大統領率いる新政権が発足した。エルシーシ大統領は、補助金改革にも着手し、2015年3月には、エジプト経済開発会合が開催され、エジプト政府は、湾岸諸国からの125億ドルの財政支援に加え、その他諸外国及び国際企業等より総額600億ドルの経済支援の表明を取り付けた。また、エルシーシ大統領は、各種大型国家プロジェクトにも取り組んでおり、スエズ運河の拡張工事は同大統領の公言通り1年で完了された。一方で、輸入の拡大及び貿易収支の赤字に加え、郷里送金の減少、観光の停滞等が要因となり、外貨不足が深刻化した。2016年7月、エジプト政府はIMFに対し120億ドルの融資を正式要請し、同年11月には、事実上の融資条件となっていた為替自由変動相場制への移行と燃料補助金改革を実施。同月、IMFの理事会は、エジプト政府による要請を承認した。
[参考]
主要経済指標
・GDP(国内総生産):3,307.80億ドル(2014/15年度:エジプト財務省)
・一人当たりGDP(国民総生産):3,761ドル (2014/15年度:エジプト財務省)
・実質経済成長率(政府発表)
04/05 |
05/06 |
06/07 |
07/08 |
08/09 |
09/10 |
10/11 |
11/12 |
12/13 |
13/14 |
14/15 |
4.5% |
6.8% |
7.1% |
7.2% |
4.7% |
5.1% |
1.8% |
2.2% |
2.1 |
2.2 |
4.2 |
(1)産業構造
産業構造は、2015/16年GDP構成比では、製造業:16%、卸売・小売業:13%、石油・ガス:13%、政府サービス:11%、農林水産業:11%、建設業5%、社会サービス5%、運輸4%、観光2%、その他:20%となっている(世銀発表)。
(2)失業率と労働力人口
失業率は12.6%(2016年7-9月:政府発表)で、前期比0.1ポイントの増加。男性の失業率は8.7%、女性は25.9%、失業者のうち81.4%は15~29歳の若年層とされている。
現在の労働力人口は2,88060万人(2016年9月時点)である。人口増加率は2016年で約2.4%であり、エジプトの年齢構成は若年層が多いことから今後も労働可能人口は増加する見込みであり、雇用創出は政府の最重要課題の一つとなっている。
従来エジプトでは、食料品、エネルギーなど多くの物資に貧困者対策として補助金が給付されてきた。しかしながら、補助金システムは貧困者の生活を支える一方、物資の過剰消費と物価体系の歪みを生んでいた。
このため、エジプト政府は91年からIMF主導による経済改革で補助金システムの大幅な削減を求められ、政府は社会不安の高まりに留意しつつ(77年にパンの補助金制度を廃止しようとした際には暴動が発生し、廃止撤回を余儀なくされた=物価暴動)、基礎食料品・エネルギーの管理価格引き上げと補助金削減を実施してきている。現在主な補助金対象となっている品目は、ガソリン、電気料金、調理用ブタンガス等のエネルギー及びパン、砂糖、食用油等の食料である。
最近の物価上昇率は次のとおり。
[参考]
都市部における消費者物価上昇率(エジプト財務省)
年 |
11/122 |
12/13 |
13/14 |
14/15 |
15/16 |
率(%) |
8.7 |
6.9 |
10.1 |
10.9 |
10.2 |
(1)国家予算
2016/17年度の歳入6,697.56億エジプトポンド、歳出9,747.94億エジプトポンド。財政赤字は3,050.38億エジプトポンド(エジプト財務省)。
(2)通貨(エジプト・ポンド:LE)
1991年、金利の自由化と合わせて、かねての懸案であった為替の一本化、「ドルへのペッグ制(固定化)」が導入された。この時点でのレートは1ドルあたり3.33エジプトポンド(IFS,1999)。
その後、1990年代は安定的に推移したが、2000年初頭より輸入急増等による外貨準備高の減少を背景に、政府は2000年5月に為替レートの切り下げを容認。同年末には1ドル=4.0エジプトポンドを上回る両替商も現れ、実質20%近く下落した。
エジプト政府は 2001年1月外国資金取引法の施行により、「ドル・ペッグ制」を放棄、1ドル=3.85エジプトポンドを中央レートとし上下容認幅1%とする「管理されたペッグ制(managed
peg)」を導入したが、その後も外貨不足は解消されず漸次的に切り下げ傾向は続いた。
2003年1月末に変動相場制に移行し、その後も銀行レートと市中レートの並存は続いたが、為替の銀行間取引が開始された結果、レートの一本化が実現した。2004年12月下旬には増価に転じ、2005年前半は1ドル=5.80エジプトポンドほどで安定していた。
しかし、2011年の1月25日以降、エジプトポンドの価値は下落傾向に転じ、2012年12月には,中央銀行が事実上の固定相場制度への復帰となる外貨割当制度を導入した。しかし、エジプトポンドは下げ止まらず、その後約半年以内に、1ドル=6.1エジプトポンド台から1ドル=7エジプトポンド台まで急落した。
その後もエジプトポンドの下落傾向は続き、2016年10月頃までに銀行レートは1ドル=8.8エジプトポンド程度まで下落。他方、外貨割当制度導入等を背景として、銀行レートと市中レートの間で格差が生じていたところ、市中におけるエジプトポンドの下落傾向は著しく、報道等の情報によれば同年7月における市中レートは1ドル=11エジプトポンド、同年10月頃には1ドル=18エジプトポンド程度まで下落していたとされる。
同年11月3日、中央銀行はIMF融資実行の事実上の融資条件となっていた自由変動相場制への移行(外貨割当制度の廃止)を発表し、同日に行われた最後の特別外貨割当オークションの実施まで一時的にレートを1ドル=13エジプトポンドとする旨決定した。その後、自由変動相場制への移行は大きな混乱もなく進み、同年12月下旬までの間は、1ドル=15エジプトポンド後半から18エジプトポンド後半で推移した。
(1)貿易収支
1974年に門戸開放政策により民間部門の輸入が大幅に自由化され、消費財の輸入が増大した。また、製造業が未発達であることから、工業化に必要な中間財や機械、そして小麦を中心とする基礎食料品まで輸入に依存する構造から脱しきれておらず、慢性的な貿易赤字が続いている。特に、エジプトの小麦の輸入額は世界一となっている。これに加え、現下のエジプト・ポンド価値の低下が貿易赤字を一層拡大する結果となっている。
貿易額(エジプト中央銀行統計)
|
輸出 (FOB) |
187.04億ドル(2015/16年) |
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輸入 (CIF) |
563.10億ドル(2015/16年) |
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貿易収支 |
▲376.0億ドル(2015/16年) ※暫定数値 |
(2)貿易品目
エジプトは、かつては農産物が輸出の主力であった。しかし、1976年に石油の輸出余力が生じて以来、鉱物性燃料等の輸出総額に占める割合は年々増大し、1985年には輸出総額の65%を占めるに至った。1986年以降は国際的な石油価格下落により石油収入も相対的に減少、加えて、石油の国内生産量も減少傾向にあり、エジプト政府によると、2011年には30.0%にまで低下した。一方で、石油製品の輸入が増加しており、2007年に、エジプトは初めて石油の純輸入国に転じた。天然ガスについても、2005年頃から輸出余力が生じて以来、数年間輸出量を伸ばしてきたが、近年、国内消費の増加、生産量の高止まり等を背景に輸出量が減少傾向にある。
80年代後半からは、石油依存脱却を目指して、工業部門を中心とした国内産業の育成、輸出品の多様化を進め、現在では食品、化学製品、繊維製品、金属製品などの輸出も増加している。2015年の輸出(15,257百万エジプト・ポンド)は、原油:9.3%、石油製品:7.6%、衣類:5.8%、肥料:3.4%、プラスチック一次製品:3.3%等から構成され,輸入(73,454百万エジプト・ポンド)は,石油製品:12.9%、鉄鋼一次製品:5.0%、小麦3.4%、プラスチック一次製品:3.3%、薬剤・医薬用品:3.0%等から構成される。(出所:エジプト中央動員統計局)。
(3)主要貿易相手国
輸出では、石油の主要輸出先であるイタリアが、1980年代以降最大の輸出先となっていたが、1993年に初めて米国が首位となった。2015/16年の輸出相手地域としては、EU、アラブ諸国、アジア諸国、米国、東欧・CIS諸国、アフリカ諸国の順となっている。
輸入でも、81年以降米国が最大の相手国であったが、2003年以降EUが首位になっている。近年、東アジア、とりわけ中国からの輸入が急増している。
主要貿易相手国(エジプト中央銀行発表:2015/2016年暫定値)
・輸出:EU(33.4%)、アラブ諸国(19.5%)、アジア諸国(6.9%)、米国(6.8%)
・輸入:EU(27.4%)、アラブ諸国(11.1%%、アジア諸国(10.8%)
(4)対外債務残高
エジプトの対外債務残高は、湾岸戦争当時は460億ドルに達していたが、2016年6月末(暫定値)の対外債務残高は約557.64億ドル(エジプト中央銀行発表)となっている。
(5)外貨準備高
外貨準備高は、2011年政変後、急激に減少し、一時は、輸入額の3か月分を切る130~150億ドル台まで減少したが、2016年の後半には、IMF等からの融資等もあり、11月末時点で230.5億ドルまで回復した(エジプト中央銀行発表)。
(6)国際収支概況
エジプトの国際収支は、慢性的な貿易収支赤字(2015/16年 376.06億ドル、中銀発表)を、観光収入、スエズ運河通航料、海外労働者の郷里送金送金、石油・天然ガス収入(以上いわゆる4大収入源)に加え、海外からの投資の5本柱で補う形が続いてきたが、2011年政変以降の観光収入の減少、海外からの投資の急激な減少、石油・天然ガスの純輸入国への移行、さらには、海外労働者の郷里送金の減少等により、近年、国際収支が大きく悪化した。 |